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「パーティは終わるけれど」「そしたらまたパーティしましょ」


しゅくえん、というひびきがすき。
それが祝宴でも宿縁でも。

恨(ハン)やサウダージのように、
ある民族特有の感覚、感情がもしあるとしたら、
日本人は「ご縁」なのかもしれないなと
雨のなかを歩きながら考えていました。

むかし、アメリカ人に「ご縁」について話したら
「それはrelationshipか?」と訊かれたけれど、
どうやら、それとはすこしちがうかんじがする。

ここに生まれてきたこともご縁。
いつかどこかで死んでゆくこともご縁。

できるならばその縁をたぐりよせていきたい。

運命の糸があるのなら、
それはきっと赤色だけじゃない。
白、水色、みどり、黒、ピンク、青、オレンジ、
いろんな色があるとおもう。

それでいて、
縁は「ふち」でもあるので、
あくまでその中身をみたすのはわれわれの領分です。

時間を巻きもどすと、ゆうべのUrBANGUILDで、
ビールをのみながらそんなことをおもった。

祝宴だったなあ。

ステージにはジウンが、ディノが、江口が、洋ちゃんが、パンダが、森西さんがいて。
フロアにはこにーちゃんが、まりなちゃんが、ジャグが、秋やナガトモが、ドラちゃんが、いちやまが、寺田が、久美子ちゃんが、キクが、にーなが、ゆうまが、ほかにもたくさんのバンドマンが、ライブハウスに足を運びつづけるお客さんがいて。
そこにぼくがいて、あなたがいて。
もちろんBAA BAA BLACK SHEEPSとサモナイタチがすばらしいステージを繰り広げてくれたことが大きいけれど、それにくわえて。一瞬一瞬が、きらっきらしてて。
最高だった。

パーティしようぜ。
これから何度でも、何度でも。

それぞれの小指からのびた無数の糸。
そこをたどっていけば、いつかあなたにも会えるだろうか。

約束はきらいです。

ただ、約束したくなる気持ちは、
きらいじゃないです。


 

# by chori_poet | 2012-05-15 19:17 | 日記 

SAKAE SP-RING 2012



はじめましての「サカスプ」出演決定です!たのしみ!
choriは6月3日(日)にclub JB'Sに出演します。


詳細、公式サイトはこちら

6月2日(土)、6月3日(日)@名古屋
“SAKAE SP-RING 2012"


1DAY PASS 3000yen / 2DAY PASS 5000yen / 2DAY PASS(タオル付) 5500yen
※PASS引換所 LACHIC 1F特設会場
●チケットぴあ(Pコード162-898) /ローソン(Lコード48214) /イープラス/TANK!theWEB/各コンビ二店頭
open・start 11:00・12:00

■出演者:Earls Court / 赤い公園 / acari / Acita / Applicat Spectra / アラカキヒロコ / アルカラ / the unknown forecast / UNLIMITS / イツエ / In 197666 / wheellz / VIVARTA / Any / O.S.D. / オガワマユ / オズニッキ / 踊ってばかりの国 / CURTISS / カケラバンク / 鴉 / きくこ / キドリキドリ / GINGHAM / グッドモーニングアメリカ / GRANCH / 黒猫チェルシー / ゲッカンプロボーラー / 小南泰葉 / GOLIATH / 齊藤 ジョニー / SiMoN / 坂本枝穂 / THE CLUTCH / THE PINBALLS / The Flickers / THE UNIQUE STAR / 沢井美空 / SIBERIAN NEWSPAPER / [Champagne] / suzumoku / Stella Letter / 星羅 / SexRex / SONIC BOOM / DadaD / chori / DNA BAKS / Trick Star / ナードマグネット/ nothingman / -NEGY- / のあのわ / NOVELS / Half moon spiral / BYEE the ROUND / palitextdestroy / Hello Sleepwalkers / banbi / pist / BIGMAMA / 平井 大 / ピロカルピン / FUNKIST / 風味堂 / フジタユウスケ / FREAKS / FLiP / Predawn / Heavenstamp / hemlock / Bob is Sick WHITE ASH / white white sisters / Mye / みそっかす / mimitto MILKBAR / MinxZone / 妄想カザミドリ / 森 恵 / yEAN / your gold,my pink / Large House Satisfaction / Liaroid Cinema / Lighter 190E / REAL REACH / ROOKiEZ is PUNK’D / The ROOTLESS / LOCANDA / ワカバ / wacci ※50音順

 

# by chori_poet | 2012-05-14 17:13 | イベント 

夜は終わった


 NIGHT IS OVER


 携帯の電源を入れて下へおりてゆくと
 興奮した父親が妹に
 「おにい、呼んで!」と叫んでいる
 テレビではレースがはじまっていて
 白い帽子1番の馬の馬鹿逃げ
 50馬身差ということはつまり
 二番手を馬50頭分引き離しているということで
 2400メートルで直線の長い東京競馬場ということはつまり
 自殺みたいな逃走だということだった
 でも騎手の後藤の気持ちもわかる
 単勝50倍の馬が勝つためにはこれしかなく
 負けたとしても大きな見せ場になる
 実際レースの第4コーナーまではひとり舞台だった
 けれども観客のほとんどが彼が勝つとはおもっていない

 ヒロタくんは日本ダービーも見れないで死んでしまった
 人生の最後の直線に入ってからはしょっちゅう競馬場へ行って
 万馬券をはずすおじさんが好きだとかいっていた
 会議の途中にラジオでジャパンカップの結果を聞いて
 万馬券を当てたと言って換金に帰ったこともある
 まだ行方不明にもならず入院もしていないころの話

 レースは最後の直線で先頭に立った一番人気の馬が
 横綱相撲で一着になった
 今年のダービー馬が
 ダービー馬になれなかった16頭を従えてウィニングランをはじめる
 そのはるかうしろで
 1番の馬が立ち止まっていた
 脚を故障したみたいで変なかんじにぶらぶらしている
 でもよろよろ立っている
 できの悪いバレリーナみたいに
 その横で騎手が転がったまま
 立ち上がってこれない
 高額納税者の父親が10万円以上当てたといってガッツ・ポーズをしている

 おそらく殺処分になる1番の馬と
 一着になれなかったヒロタくんを重ねてみて
 それでもやはりちがうとおもった
 ヒロタくんにはゲートからすんなり出れないまま
 失格になってそれでものうのうと生きていてほしかった
 好きな競馬でもっと稼いでほしかった
 あまり酒の飲めない彼と飲みに行くと
 たいてい6歳年下のぼくの割り勘要員になっていたヒロタくん
 昨日はイベントがあったので
 家でごろごろしているわけにもいかずに
 喪服を着てイベントに出た
 今村がヒロタくんのコレクションのなかから
 いちばんかっこいいナイフを持ってきてくれ
 ぼくはそれを背広のポケットに入れて
 ひとの詩を褒めたり
 トイレの場所を案内したりした
 ヒロタくんと一緒につくりあげたこのイベントが
 昨日でちょうど最終回を迎えたことに
 たいした意味はないのかもしれない

 1番の馬はもしかしたら骨折ではなくて
 軽い捻挫かなにかなのだとしたら
 助かるだろうとおもった
 でもテレビを見ているのがやりきれないから
 ぼくはこうやってさっきパソコンの前にうつってきた
 いつのまにか現在形が過去形に変わっている
 もっともおそろしいのは
 ヒロタくんという人間がうすれていって
 いつか彼のことを彼との関係性においてのみ
 記憶しつづけるかもしれないぼくのことだ
 あの1番の馬のことを忘れてしまったひとたちも
 今年の日本ダービーを思い出すときには
 あの馬鹿な大逃げを思い出すかもしれない
 ヒロタくんはおそらく一生で一度も先頭に立たないまま
 案内板をつくったり
 スタッフの似顔絵を書いたり
 寝坊して打ち合わせに遅刻してきたりした

 ヒロタくんがまだ死んでいないのなら
 よかった
 ヒロタくんが自分の足で歩き続けられるのなら
 もっとよかった
 おれはここから先ひとりで行かなくてはいけない
 おれがはじめて「歩こう」と呼びかけた人間が
 おれより先に歩きすぎて疲れてしまった

 ヒロタくんがいちばん好きだと言っていたアルバムの
 いちばん最後の曲はインストで6分2秒の曲
 夜は終わった
 夜は終わってしまったんだ
 朝になる
 だから歩こう
 朝の町並みから吐き出される人波を
 人並みの幸せで歩きたいとおもう

 今村がすごくいい詩を書いて送ってきた
 おれは詩を書かなくてよくなった
 ヒロタくんのためには

 詩を書いていてよかったとおもう
 ぼくがした最初で最後の自殺未遂は
 腕を切りながら
 この血の赤さは詩に書けるなとおもった時点でおわったので
 ぼくは詩に恩返しをしなくてはいけない
 ぼくは詩を書いていてよかったとおもう
 それでこの3年間詩ばかり書いていた
 詩のために何十万も使った
 詩はぜんぜん綺麗な顔もしていないのに
 ぼくの苦労や時間やお金を受け取ってはかわりに何もくれない
 それでよかったんだとおもう
 ヒロタくんのためにぼくはすくなくとも
 すこしのことはしてあげられた

 ねえ
 夜は終わって
 ぼくは携帯の電源を切ることをもうやめたよ
 夜は終わったんだ
 確実に



 (2004年5月30日)







ヒロタくんが死んで、もう8年になるということが信じられない。
ぼくはとっくに彼の死んだ年齢をこしてしまった。

最初の3年くらいは福山の戸手まで毎年墓参りにいった。
それも途絶えがちになった。
ヒロタコウジ、は、骨になって、緑風院なんとか覚念居士、になった。

彼のことを、彼の死を書いた詩でぼくは「詩学最優秀新人賞」をとった。
第一詩集には彼のことを書いた詩がたくさん収録された。
そのうえで、たいそう意地の悪い考えかたをしてみると、
彼はぼくに職業詩人としての第一歩を踏ませるために死んだといえなくもない。

それからも、一緒にイベントやワークショップをやっていた詩人が何人も死んだ。
ほとんどは20代で、やっぱり、ほとんどは自殺だった。

彼の形見のナイフは、ぼくと谷竜一で一本ずつ分けた。
もしかしたら、彼が自分の手首を切ったかもしれないナイフだ。
谷はそのすぐあと、渋谷で職務質問にあって、警察署に連行された。
刃渡り何センチ以上の刃物を持っているとそうなるんだといっていた。
たかが便利ナイフのようなものなのに。

ぼくのなかのヒロタくんは、ごくあっさりといなくなった。
谷と今村は彼が京都をあとにして福山の実家へ帰るきっかけとなった最後の自殺未遂の現場にいた。
たしか、血まみれのヒロタくんから電話があったんだとおもう。
ぼくはそこにいなくて、それから1ヶ月くらい経ったあと、
四条烏丸のfieldというアイリッシュパブでひとりで飲んでいたとき、
知人からの電話で彼の死を知った。
死に顔は、びっくりするくらいやすらかだったという。
画家である彼のおやじさんは、そのあと会ったとき、やっぱりそういった。

ヒロタコウジという人間が、
いったいどれほどの人間の記憶のなかで生きているのかわからないけれど。
最後までどうしようもないやつだったヒロタくんは、
でもやっぱり一緒に飲んでてすごくたのしいやつだった。
絵が上手だった。
いつでも寝起きの猫みたいな顔でしゃべった。
競馬新聞をジーパンの後ろポケットにつっこんでいた。
赤ワインが好きで、でもハーフボトルも空けられずにねむってしまった。
オレンジ色のふちをしたメガネがよく似合っていた。
だいたい、サイケデリックな柄の長袖シャツを着ていた。
「ちょりー」というときの、アクセントのないけだるい口調が、すきだった。

ヒロタコウジで検索をかけたって、
彼のことはなにひとつヒットしない。

でも、ぼくはおぼえている。
だから、ぼくがおぼえている。

きみのぶんまでぼくは生きられません。
きみを背負えません。
そういうつながりじゃなかったな、ぼくらは。

だけど、へんな言い方だけど、
ぼくはヒロタくんが死んでから死ぬことがいやではなくなった。
一生懸命生きようと、だらだら生きようと、どっちみちいつか死ぬとして、
そっちにはどうせヒロタくんが飲み残して寝ちゃった赤ワインがあるだろうから、
ぼくはわざわざお酒を買ってかなくていいわけだ。
またミッシェル・ガン・エレファントの話しようね。

いつか。

そのときまでは、
どうか、
いい夢を。



 


# by chori_poet | 2012-05-12 19:01 | 日記 

家族の風景


そんなわけで(前回参照←手抜きです)、
友だち夫婦と、その子どもに会いにいってきました。

まずはパパを紹介します。

どーん!!



仙台(ex.THE VESPERS)。

22歳である(マジで)。

どんだけ老けて風格漂わせてるねん、とつっこみたくなったやつぁ手を挙げろ。

十何代つづく老舗手ぬぐい屋さんの店長という立場にくわえ、
吸ってるたばこがエコーということでよりいっそう風格増してるけれど
これはきっとお小遣いがすくないのでそうなっているのでしょう。
結婚するまえは若者っぽい銘柄だったとおもう。たしか。
まあ、かくいうぼくもいちおう24歳で株式会社の営業係長やってましたけどね。
と、年下の店長に対して負け惜しみをつぶやく。



さてさて。
次は、そんな財布のひもを握っているママの紹介を…とおもいましたが、
あんまり顔出ししてないひとにつき、あとで怒られそうなのでやめときます。
想像しといてください。
動物にたとえるとカモノハシに似ている、とってもチャーミングな女性です。
想像しといてください。



そしてまあ、いわば真打ちです。



2012年3月14日うまれ、とれたてぴちぴち、じゃなかった、
まさに現世にご光来されたばかりの「隼人」。
この子がねー、ほんとにかわいくてねー、と、詩人はおもわず近所のおばちゃん化するのだった。



話をこの日(というか、きのう)のはじまりにもどすと、
はじまりというのがすでに夜なのだが、仙台とぼくは中書島で落ち合い、
京阪電車のふたり座席にお互いひょろ長い身体を押し込みつつ、まずは乾杯である。

われわれは酒敵である。それも極上の酒敵同士である。
さらには、まあ、語弊をおそれずいえば、つねにアルコールに飢えている。
そんななか仕事のため20時半までしらふでいた仙台と、
彼に対して勝手に義理立てのうえ20時半までしらふでいた詩人が、
「おうちに帰ったらビールのもうね」などというかわいらしい考えをもっているわけがなく、
伏見桃山のフレスコで8本買い込んだビールのプルタブをさっそく開けるのだった。
樟葉をすぎるころには当然1本目は空いており、
京橋についたならば2本目がなくなっている。
万事がそのような調子であった。

仙台家に到着すると、
嫁であり母である唯ちゃんがおつまみをつくって待ってくれていた。
「士別れて三日なれば刮目して相待すべし」とはいうが、これにはびっくりである。
われわれはよく独身時代の仙台家にて3人でのんだりしたものだったが、
ついぞ彼女が料理をするところを見たことがない。
(これはまあ、男子ふたりが異常なほど料理をつくりたがるせいもあるだろうけど)

出汁巻き、こんにゃくの炊いたん、ちくわきゅうり。
どれもたいへんおいしゅうございました。

そして、ついに彼らの息子の文字どおり謦咳に親炙するを得、
詩人はまんぞくしたのである。

隼人は1日の半分以上をねむってすごしているということで、
逆に昼とか夜とかいう時間はあんまり関係ないんですね。
なので、われわれが帰宅したのは21時半だったけど、
まだ這い這いなどはできないなりに、
それでもずいぶんとかまってくれました。

かまってもらっているうちになんだか仲良くなれた気がして、
「お酒とたばこと不純異性交遊は13歳までしてはだめだよ」と教えようとしたが
両親の手前をはばかってやめておいた。やめておいてよかった。

ひとしきり隼人とあそんだ(あそんでもらった)あとで、
男たちは本格的に腰をすえての晩酌となる。
このころにはビールはすでに滅びており、焼酎だね。
やはりわれわれが差し向かうと、なかなかな量のお酒が供養されます。
日々、blogのネタにと写真を撮りがちなぼくがここから先の写真を一枚も撮っていない、
ということでもってご賢察ねがいたい。
いい酒でした。
でもなにしゃべったかぜんぜんおぼえてない。

唯ちゃんがつくったつまみがあらかた消費されてきたころ、
あれはたぶん24時くらいか、詩人が口をひらく。

「ね、冷蔵庫にさ」

仙台、すぐさま引き取る。

「ありますよ。なんか」

そう。
われわれの趣味は酔っぱらっての料理である。
そのためにはなにかがある冷蔵庫が不可欠なのだ。
もちろん、なかったらなかったでつくるんですけどね。

野菜、香辛料、調味料といった部分は心配ご無用。
なんてったって仙台(なんてったってアイドル、風に読んでくださいね)。
にんにくやら、出汁用の昆布やら、そういったたぐいは切らしたことがない。

しかもこの日は心強い味方がいた。
事前に「おみやげなにがいい?」と訊いたところ、
唯ちゃんから「肉!」という、シンプルかつ力強い返信があったので、
ぼくはフレスコにて大量の豚バラ(1キロくらい)と牛肉を買って持参した。
降らずとも傘の用意、と利休居士はおっしゃいましたが、
不肖の子孫も人並みにおみやげくらい気を遣うのである。

かくて、男たちは焼酎を片手に台所を戦場と決した。
ある種の会戦といえよう。
遼陽会戦でいうなら、詩人が第一(黒木)軍、仙台が第二(奥)軍という布陣。

詩人といえば豚の角煮である。
そんなの聞いたことねえよ、といわれる向きは
そのことばをやさしい気持ちでそっと嚥下していただきたい。
とにかく、ひとをもてなすとなると、だいたいこれをつくる。

参考として、かつてつくった角煮画像を。



ただまあ、きゅうなことで八角やら黒砂糖、はちみつを用意していなかったため、
冷蔵庫の中身を確認したうえで迅速に「和風角煮」に切り替える。
いつもならぶ厚く切る豚バラではあるが、ここでそんなことをしていると朝になっちゃうので、
比較的薄めに切ったものをフライパンで焼いてある程度脂を落とす。
それを昆布で出汁をとった鍋に投入。にんにく、みりん、砂糖、白しょう油をくわえる。
沸騰するまえに焼酎をどぼどぼそそぎ、いったん煮切る。
ほんとうはネギの青いところ、しょうがもほしいのだけど、
あるものでつくるのが酔っぱらい料理のたのしみでありまた真骨頂なのだ。
出汁をとったあとの昆布も細切りにしてくわえ、
あとは弱火でことこと煮るだけ。

今回は和風ということで豚だけにしたけれど、
濃い味でつくるときは大根やオクラ、ゆで卵などを
一緒に煮ると一石二鳥でおいしいおかずになります。

さて、その横で仙台は薄くスライスした豚肉にパン粉をつけている。
彼はぼくとちがって元イタリアンレストラン勤務なので、
やっぱり素人の酔っぱらい料理とは一線を画すものがある。
しかもぼくが豚の脂を落としたあとのフライパンと脂を再利用して、
グレイビーソース的なものまでつくっている。
結果、ウィンナー・シュニッツェル、グレイビー添えといったようなものができた。
めちゃくちゃおいしかったです。
(文体がだんだん昭和っぽくなってきて疲れてたので、あえてくずしてみる)

そんなこんなで焼酎もどんどん空き、
もともと仙台は芋焼酎、ぼくは麦焼酎をのんでいたのだが
麦はなくなり、途中でべつの芋焼酎にきりかえる。

そうしているうち、5時半起きではたらいていた仙台が、
2時くらいかな、ついに疲労と睡魔に足をからめとられ撃沈。
唯ちゃんも隼人もねむりの国である。
詩人は憤慨したが、こちらも実際、そうとう酩酊している。
ふてくされたように毛布をひっかぶったのだが、いけませんね、
このタイミングで電話がかかってきて、それがまたテンションの上がる内容だったため、
ふてくされること30分ほどで現世に還ってきてしまった。

手持無沙汰なので仙台(むかしの日記にも書きましたが、彼の苗字は仙台ではありません。仙台出身のため、仙台と呼ばれております)にちなんで、
仙台名物(?)の「おくずかけ」をつくってみたりした。
ひとりで。
いや、ひとりだったか、そんなわけないか。
どうやら記憶の片隅にちょろっと仙台もうつりこんでいるので、
たぶんある程度つくったまではまだ彼も起きていたのだろう。
で、おくずかけはできた。
ただし、片栗粉が発見できなかったため、もどきである。

そんななか、よく考えたらつくったはいいけど煮込むばかりで
実食していなかった角煮が頬がとろけそうなよい出来とあいなった。
詩人はふてくされるのにも飽きたので、年上の特権を濫用して、
すやすやねむる仙台を起こした。鬼畜とでもなんとでも呼びたまえ。
(いまおもったけど、きょうはなんとなしに丸谷才一風ですね。呼びたまへ、って書きたい)

そんなこんなで、結局5時過ぎか、
とにかく始発が走るころあいまでのんでいたのである。
豚の角煮はやはりよくできていて(仕上げにかつぶしを煮含めてみた)
そういう、どうでもいいような、どうでもよくないような、
ちいさなことが最近はとてもうれしい(といったって、疲れて寝ているひとを起こしてはいけませんよ)。

目がさめると、唯ちゃんが角煮でごはんを食べていて、
仙台はその横でおくずかけもどきを椀によそっていた。
隼人は機嫌よくねむっていて、
ああ、家族の風景だなあ、とハナレグミの曲をなんとなくおもいうかべた。
この子が20歳になるまでは、なんとか石にしがみついてでも、生きていたいとすこしおもった。
ぼくは元来持病が多いし(そのうち、喘息と、とある不安障害は治したけれど)、
あんまり褒められたような生活サイクルを送ってはいないけれど、
彼らの息子とはいつか両親とともに酒を酌み交わしたい。
なんせ、半分名付け親なのだから、せめて隼人が自分の名前について興味をもつくらいの年ごろまでは。
親に言いづらいような悩みとかはぼくにいってくれたらいい。
なんて、いまから想像しててもしょうがないんだけどね。

最後に、余談ながら、
隼人を寝かせるときはいつも音楽をかけていて、
彼が今のところいちばん寝つきやすいのはYUKI「joy」とのこと。
それでも、仙台のiPodからはクリープハイプや明日、照らすががんがんに流れてきていて、
いつか隼人がそれを気に入ってくれたらいいなあ、とおもう。

また会いにいくよ。

それから唯ちゃん、
毎回肉ばっかり買ってると経済的に破綻しちゃうので、
つぎは魚肉ソーセージくらいで許してください…。

 

# by chori_poet | 2012-05-11 23:25 | 日記 

名前をつけてやる


 名付けるにはまず知らなければならない
 知るためにはまず名付けなければならない

 これは矛盾ではない
 もちろん不純でなどあり得ない

 (いとう「つみうみ」より)



尾崎世界観のことを考えているうちになんだかねむれなくなってしまって、
そのうちなんとなく名前についておもいをはせるはめになった。
ヘーゲルやアランならこういうときうまい定義を引っ張り出してきてくれるのだろうけど、
残念ながらぼくは在野の(とつければなんでもかっこうよろしいが)詩人で、
おまけに幸か不幸か、酒が切れているときている。
つまり、こういう場合、まったく使い物にならないのである。

名前。
はたち前後のころは、どうしたことか、
ひまさえあれば自分の子どもの名前を考えていた。
双子の場合、三つ子の場合、なんてことまで視野に入れていたので、
性別のバリエーションも加えれば最終的にそれはもう膨大な命名案があったはずだが、
これまた幸か不幸か散逸してしまって手元にも脳裏にものこっていない(うむ、よしとしよう)。
それでもこの悪癖は数年に一度はひょっこり顔を出すとみえて、
つい半年ほどまえにも第何次かの命名ブームがぼくんちの呼び鈴を鳴らした。

それで、いまのところ、
父親願望どころか結婚願望すら皆無に近いくせ、
女の子なら「郁乎」、男の子なら「温鳴」と決めている。
このように書くと、たいへん強い意思のもとに決定された感があるが、
実際のところはほとんど雰囲気と酔っぱらった勢いともいえる。
それぞれ、いくこ、はるなり、と訓む。
前者は中国の古いことば「郁郁乎」(文化がさかんなさま)から、
また後者は禅語の「孤掌鳴り難し」から拝借した。というかまあ、ぱくった。

ひるがえって、自分の名前はといえば。
わが家は曾祖父が「政之輔」、祖父が「政興」、父親が「政之」と、
三代つづいて「政」の字が入っているにもかかわらず、ぼくは「明史」と名づけられた。
はて。
飽きちゃったのか、橋の下で拾われてきたのか(しかし弟も「敬史」である)。
ちなみに、曾祖父のまえのご先祖たちに「政」の字が入っているかというと、
これがちょっとさだかではない。というかまあ、大昔に調べたのだけど忘れた。
「駒吉」さんだったり「栄五郎」さんだったりはいるのだが。
ともあれ、小学校のころ、宿題で「自分の名前の由来を調べなさい」といわれ、
親に訊ねたところ「明るい歴史をつくる」云々といわれた記憶がうっすらとある。
まあ、それ以外の意味があんまり見つけづらい字面ではあるが、
ありそうでなく、ありそうでもあり、自分ではけっこう気に入っている。
苗字とあわせて十六画で、署名しやすいし。

名前!
嗚呼、名前である。
なんですか、だんだん慷慨調になってきましたね。
それにしても、いまどき、通字をもつ家なんていうのは旧大名家くらいかしらん。
なにしろ偏諱なんてものが絶滅し、訓みはともかく字は改名しづらい現代においては、
むしろ通字を守りつづけるには絶好の条件がそろっているのだけれど、
まあ、そこにこだわる意味も別にないけんね、という誰かの声が聞こえてきそうではある。

元同級生に珍しい名前の男がいて「三二四」(みつし)というのだが、
彼の場合は祖父だか曾祖父だかの名前をそのままいただいたのだという。
こういう話を聞くと、慨嘆調気分的保守派の自分としてはちょっとうれしくなってしまう。

それでおもいだしたのだが、
どうもぼくのまわりには変わった名前の人間が多いようだ。
ぼく自身のはまあ、珍しいほうではあっても難読の類ではないし、
おそらく同名の男が探せばあと数百人くらいは出てきそうだから、
けっして類が友を呼んでいるわけではなかろうが。

こころみに、ぱっと浮かんだものだけ挙げてみると、
男性では「師明」「心晴」「滝弥」「童司」「文悟」「拡穏」「芽」。
女性では「眸」「假奈代」「仁子」「恵寿」「千令」なんていうのがある。
ほとんど訓めない。

ほかに、見た目はふつうなのに「篤人」で「あつんど」と訓ませる男もいる。
もっというと、本名が「茂山茂」という狂言師もいる。
また、昭和初期の作家だったかで、名前が「斉藤」というひとが、
どういった縁か、斉藤姓の家に婿入りし「斉藤斉藤」となったそうな。
おまけのおまけとして、ぼくの妹は「万紀子(まきこ)」というが、
当初は「千万紀(ちまき)」になりかかったらしく、
でもそうなるとフルネームが「千千万紀」ということになり、
字義のうえでははなはだめでたくはあるが、
さすがにこれはなぁ…ということで没になったと聞いた。
ただし、これは両親による京都ジョークの可能性もまた大、である。

なお、これは有名な挿話なのでご存知の方もおられるかとおもうが、
作家・阿川弘之提督のご令息、ご令嬢(尚之さん、佐和子さん)のお名前は
病院へ向かう途中偶然通りがかった立山墓地にて、
他家の墓碑銘から拝借されたものであるという。
しかも律儀に、兄妹ともにおなじ家のお墓から採られたとの由。
ぼくの友だちにも似たようなのがひとりいて、
彼の「基成(もとなり)」という名前は、その誕生時、
父親が読んでいた新聞にたまたま載っていた他人の名前である。
いずれも投げやりととるか、豪放ととるかはひと次第であろうけど、
ぼくは単純に肩肘はっていなくていいエピソードだなあとおもう。
名前自体に仮に意味がなくても、名づけることには意味がともなう。
ひとによってはそれを罪と呼び、
ひとによってはそれを愛と呼ぶ。

さて。
こうして名前について箸にも棒にもかからぬことを考えていると、
思考はいたずらに意識の袋小路を吹きまわり、
まるでカウンターストップ後のゼビウスに向かうプレイヤーのような、
一種陶然とした心地になってくる。
と書いたはいいが、在野の詩人がそんな凄腕のゲーマーなわけがないので、
あくまでこれはもののたとえというやつである。

もののたとえというやつではあるが、
この陶然とした心地をかかえたままで、
詩人はそろそろねむりの国のドアを叩きたい。
残りの夜がくるまえに。
というか、もう、朝だもの。

きょうは、詩人が半分名付け親のようになった友だちの息子、
隼人にいよいよ会いにゆくのである。
生後二ヶ月の赤ん坊というかたちをした希望を、
この両手でしっかりと抱きしめにゆくのである。


  

# by chori_poet | 2012-05-10 05:15 | 日記 

ことばについて、ちょっとしたメモ


「きょうも音楽ができることに感謝して、各自できることを精一杯、たのしみましょう」

これはここ数ヶ月、ライブ前にヤス(うちのベース)が必ずいうことばで、
そのときによって細かい言い回しは異なったりもするけれど、大筋はこういうこと。
ぼくにとって、もはやおまじないというか、勇気を出す合図みたいになっている。
とてもいいことばだとおもうし、ヤスがいうからこそ、伝わる。受け取る。噛みしめる。

ことばというのはそれ単体ではただの馬車でしかなくって、
それをかぼちゃの馬車にするのも、ぼろぼろの馬車にするのも、
四頭立てにするのも、時速200キロで走らせるのも、
結局はそれを発するひと次第なのだとおもっている。
詩人がそういうと自家撞着みたいだけれど、
でもこればっかりは厳然たる事実。
アントニオ猪木がいってかっこいいことばと、谷川俊太郎がいってかっこいいことばはちがう。
そのうえで、関係性のこともある。
「愛している」がいつでもポジティブな反応でむくわれるわけではないし、
「死んでしまえ」がネガティブなことばであると、ぼくにはどうしてもおもえない。



そんなことを考えながら、
このまえのツアーから、出番の直前に般若心経をとなえることをはじめた。
べつに「寿限無寿限無…」でもいいし、「天にましますわれらの父よ」でもいいんだけど、
意味がわかることばを繰り返していると逆に意識がひっちゃかめっちゃかになってしまう。
からっぽになるため、とか、そういうかっこいい理由ではなく、
まして信心もなく誦経したところでからっぽになどなれないのだが、
要するに、意味のわからないことを何度も繰り返してとなえると、疲れる。
疲れるとよけいなことを考えなくなって、よけいなことを忘れて、
ぼくにとってはとても気持ちがいい。
なので、だいたい10回くらいぶっつづけにとなえてからステージに上がる。
これが大悲咒とか大施餓鬼だと長すぎるし、完全にはそらでいえないので、
まあ、なんというか失礼ながら般若心経くらいがちょうどいいのだ。
(なんでおぼえているのかというと、小さいころ毎年お盆でとなえさせられていたから。ぼく自身は積極的な無宗教です)

なので、ヤスのことばをしっかり咀嚼して、手綱と鞭に手をかけたあとで、
よくわからない日本語(?)をとなえて疲れてなんかいろいろ失念して
「あっ」と鞭を入れる。それが鞭かどうかすらわからないまま入れる。
走り出してからは、また自分が戻ってくるのだけど、
そのときの自分はふだんよりすこしだけ頭もお腹も軽くなっていて、
意味や意義を考えるよりはやく身体がうごいている。
ような気がしている。
とりあえずは、しばらくつづけてみようとおもう。



さて。

ことばはすっぴんだ。

そこへ、お化粧をしてやる。
そう見えるよう、そう聞こえるよう、そう伝わるよう。

それは声色や口調であり、身ぶり手ぶりであり、
前後の文脈であり、発するシチュエーションであり、
関係性であり、ありとあらゆるやりかたがある。
もちろん、すっぴんのままで届けたいときだってある。

ずっとまえ、ごくごく若いころから、ぼくは、
「詩人はクリエイターではなくエディターだ」と主張している。
エディターという部分はいくらでも言い換えられるけれど、
ようするに、編者でありアレンジャーであるということだ。

だってぼくやあなたは「好き」も「嫌い」も「おはよう」も「さよなら」もつくりだせない。
そのかわり、「好き」や「嫌い」や「おはよう」や「さよなら」を伝えることができる。

でもこれって、べつに詩人にかぎらず、
ふつうに日々をすごしているなかでのぼくら全員に当てはまることだともおもう。

そのことば自体には意味があっても、
それを関係性のなかで発するときにじつは固有の意味はない。
そこへ意味を与えるのはぼくら自身です。

あらためてそう考えてみると、
なんだかたのしくなってきたような、
めんどうくさいような、ふしぎな気持ちになる。

そして、
こんなたのしいようなめんどうくさい話を、
いつかあなたとお酒でもあいだに置いてかわせたら、
と、ちょっとおもったりしている。


  

# by chori_poet | 2012-05-09 15:16 | 日記 

朝のこゆび


ちぎり捨てたもののおもみを
きみの指は知っているか

そのやわさや
ぬくんでふうわりと色づいた甘さを
かたくこわばった四隅のひやっこさを
憶えてはいないか

どうだろう、と腹がいう
丸くちびた爪はおもいあたるようなことをつぶやいて黙りこむ
こんなにもごつごつとふしくれだった関節が
遠いまなざしを夜のむこうへ投げる

投げられた
おもみは

つかの間
春の緩衝地帯へ打ちあたり
受け身のとれないまま
ひとしきりその身をよじっ


こゆび
朝の家禽たちに
ついばまれるための
小指
その糸の先を握っているのは
きみか
あるいはぼくか

糸は
ぼくか。

それとも、


  

# by chori_poet | 2012-05-08 23:58 | 即興詩 

ミョウガにつきます


いかがおすごしでしょうか。
ゴールデンウィーク後の恋人たち。

ぼくにとっては「なんとか後の恋人たち」とつぶやくたび、
カワグチタケシ大兄の詩を惹起させるものがあるのです。
お花屋さんであり詩人の大兄。
元気かなあ。

詩人といえば、きょう5月7日は河井醉茗の生まれた日です。
「醉茗」って、ちょうかっこいいんだけど、ぱっと見は「酔ったミョウガ」みたいなものにみえ…るのはぼくだけかもしれません。
なんにせよえらいひとです。
散文詩畑のひとというイメージがあって、あまり親しんだことはないけれど、
プロデューサーとしてもすぐれてはったんだろうなあとおもいます。

そんな雅号の由来。

「とくに意味はない」

だそうです。
エモいぜ。

そんなエモい詩人が生まれた日にぼくがしていたことといえば、
掃除をして洗濯をして洗いものをして買い出しにいって、
もやし2袋、焼きそば6袋、鶏ムネ肉2パック、豚ロース1パックを424円で買ってきたくらいのものです。
フレスコの広告とお見限り品にあわせて生活サイクルを構築する、これ基本。
ああもうこっちの詩人は詩人として全然エモくないです。

きのうヤスが吐いた名言のなかに
「3万円持ってるのに1万円分しかおごらないやつとかがいちばんださい」
っていうのがあって、なんかもうそういう残念なかんじです。

鶏ムネ肉は冷凍庫へ、豚ともやしと焼きそばできょうから3日間焼きそばパーティにいそしむつもりです。

まあだいたいぼくのようなものが日記に書けるようなことがらは決まっていて、
料理か歴史か文学か音楽か雑学くらいの断簡零墨なんだけれども。

さて、きょうはなにを書こうかね。
諸兄はなにが読みたいかね。
と、おもわず居丈高になり安楽椅子のうえにふんぞり返ってみたところで、
安楽椅子なぞわが六畳間にはあらず、布団のうえが関の山であるのだった。
まったく、酔ったミョウガであるよ。
「ミョウガを食べすぎるとばかになる」と小さいころ誰かにいわれたが、
そうするとさしずめ酔ったミョウガとは「酔ったばか」ではないか。
ただでさえばかなのに、あまつさえ酔っぱらったとなると、ゴンゴドーダン、一生ゴドーを待ってろ、てなもんである。
(注:この時点でわたくししらふであります)

なぜ、「ミョウガを食べすぎるとばかになる」のか。
これ釈迦のこぼれ話に論拠をおく、ものすごい俗信というかこじつけらしいです。
でもぼくは「お墓のそばに生えるから」って説明されたんだけど、
いまだになんでお墓のそばに生えてる=ばかになる、のかわからないままであるよ。
お墓のそばに生えてるようなものを食べるのは不信心者だ、ということなのであろうか。
わたしのお墓の前で泣いてしまった誰かがこぼした涙がミョウガに生まれ変わったのであろうか。
千の風になれなかったぼくらへ白線流し。
ばかなんかいらないぜ、夏。
なのであろうか。

やりきれないのでビールを開けようと存ずる。

かくて、詩人は花も実もある「酔ったミョウガ」化してゆくのである。

存ずるといえば、狂言(強引だなあ)。
つい3日ほど前のこと、茂山千五郎家の「動画撮り放題狂言」というものに、
デザイナー・おばけのくにことキクと、ミュージシャンの共田尚樹とともにいってきました。



これはこのあたりに住まいいたす詩人でござる。こんにった、茂山家の狂言に誘われたによって、同道三人のうえ参ろうと存ずる。されば、そろりそろりと参ろう。………おう、なにかと申すうちはやこれへ着いた。さらば案内を乞おう………みたいなことはいってません。ふつうに千三郎さんが前説してはるとこです。

「菌(くさびら)」はよく観る機会があるんだけれど、「茶壺」は初見。
本茶、非茶っていうのはいわゆる闘茶のころの呼び方で栂ノ尾の産かそうでないか、
これを知ってると劇団衛星「珠光の庵」とかもよりたのしく観劇できるやつです。
って、なんかひとの宣伝ばっかりになってないか詩人。
いいんだよリスペクトだよ。
それはさておき、「ダイジェスト狂言」もおもしろかったですね。
「濯ぎ川」「鎌腹」はよく知っているけど、「鼻取相撲」「栗焼」は全編観てみたいなあ。

茂山千五郎家自体は童司、宗彦といった直接の友だちをはじめ、
一門のみならずお弟子さんたちもふくめみなさんにお世話になってるけど、
やっぱりおもしろいものはおもしろい。すきだから観るのだ。
そもそも動画撮り放題っていうのを能狂言界初としてやっちゃうあたりがエモいぜ。
新喜劇やコントにあんまり笑いのツボを刺激されないぼくには貴重なサプリメントであります。

ちなみに「菌」とはキノコのこと。
ある日、館の庭に突如見慣れぬキノコが生えてきて、
取り除いても取り除いても出てくる。
それに困惑した主人が山伏に調伏を頼みにいくんですね。
山伏は秘法のかぎりを尽くすのだけど、キノコはおさまるどころか増える一方。
15分ほどの短い狂言だけど、これはアレンジがききまくるので、
多いときは数十人(株?)のキノコが登場したりして、たのしいものです。
前半やや難しいところもパスティーシュだって事前に知ってれば二倍たのしいので、
狂言会にあんまりなじみのない方はちょろっと予習してからいくといいのでは。

って、なんかひとの宣伝ばっかりになってないか詩人。

いいんだよ。
どうせ酔ったばかだから。

そして、そんな詩人たるぼくは、
お墓や庭や、ところかまわずわらわらと生えては増殖してゆくミョウガやキノコのごとく、
あなたのこころのなかにも、ある日突然お邪魔したいとおもっている次第。

ぼくらは痛んでいる
いろいろ
として生活にふりまわされながら
詩の上に立ちつづける

タトゥー
あんとき言ったよね
心は残らないけど言葉は残る
なら
言葉によって揺り動かされた心は
どこへ行けばいいのか
どこで死ぬべきか
死に場所は頭のなかになんて置いてない
どこで生きるべきか

知らないが踏ん張っている

一行は
血を流れゆく身体だ
ぼくの冒頭はとっくに閉ざされて
自分では結べなくなったまま
立つ
あほうのように
悠然と

きみは
どの街の夕暮れに帰ってくる?

ぼくらは
うみおとされて、

地図だけを持って
いたんでいる
ふり返っている
歌をうたっている
いつも
安直な会話ほど
あとになってから赤く腫れてくる
そのひとつひとつは思い出せないのに


と、20歳のころのぼくはゆっていました。

そんなわけで、きょうも脈絡の行間を突っ切って、
どこへも着地できない筆致は脈と絡のあいだくらいで息をつきます。



最後に、
狂言をみたあとはビールのんでました、という図。

おしゃれカフェで16時台からビール片手に「さっき観た狂言さー」と語る20代男女。
エモいぜ。

やはりわれわれは酔ったミョウガくらいでちょうどいいようです(責任転嫁)。

それでは、
さようならー。
さようならー(にこやかに手をふりながら)。

 
 

# by chori_poet | 2012-05-07 19:05 | 日記 

間際


日記タイトル「間際」は、
「新しいCDのタイトルなにがええとおもう?」という問いに対する、うちのベース・ヤスの答えでしたよ。
ええ。
ちなみにその前の案は「革命」でした。
彼のクオリティコントロールはいったいどうなっているんだぷんぷん!

ぷんぷんしたついでに読者諸兄へ懇切丁寧にご説明申し上げると、
きょうは自宅にてムッティー、ヤスが新曲のアレンジ組み直しをやっていて、
ぼくは隣室で別の作業しながら聴いたり聴かなかったりしていたのだけど、
それが終わったあと3人でなんやかや3時間くらいしゃべってて、
ムッティーはバイトへ行き、ヤスは終電で帰宅。今ここ。
そしてぼくは実家でもらったちまきをヤスにあげようとおもったのに
みごとに忘れててぷんぷん、です。はい今ここ。

そんなこんなでゴールデンウィークも滅びました。

また来年、と詩人は哀惜の意を表しつつ見送るわけだが、
胸のうちでは「でも、どうせ自営業みたいなもんだからな…」とつぶやくのであった。

ゴールデンウィークは自分でつくるものです。
人生も友だちも恋人も自分でつくるものです。
待ってたって来てくれるわけじゃないのだ。
ゴドーみたいなもんだ。
きみはエストラゴンでいいのか。
などと、またしても意味不明な韜晦とともに夜へ沈んでゆくのだ。

そんな酔っぱらいへのポイント・オブ・ノー・リターン間際。

「滅びる」といいましたね。
ええ、たしかにわたしはいいました。

この表現は通常「かくて平家は滅びた」とか、
それくらいしか登場する機会を与えられないかわいそうなやつなのだけど、
わが実家(ちまきやおせんべいをくれるやさしいひとたち)においては
そうとう頻出する単語なのであります。
※ちなみに便宜的に「実家」といっておりますが、これ、本来誤った用法だからね!諸兄におかれてはご賢察たまわりたい。

わが家ではそれこそ平家やら北条氏やら足利幕府にこだわらず、
ひとが亡くなることも食べものの賞味期限が切れることも
なんでも「滅びる」といいならわしておったわけです。
おもに母親が。

用例:

ぼく「あの笹かまぼこ、まだある?」

母親「あ、もう滅びた」


いかがかな。
なかなかにシュールであるといわざるをえませんね。
生活の、生きものの、リアルみたいなものが力強く立ち上がってきます。
自分さがしとかしてる場合じゃないぜ若いの。
と、言い放たれているかんじがあります。
いっそすがすがしいくらい攻撃力の高いパロールである。

そんなこんなで同様なローカルルールや言語はやまほどあるのだけど、
そのあたりはおいおい紹介していければなとおもっている次第。

蛇足ながら、そんな母親(東京生まれフランスとかスイス留学経験あり)の得意料理はアドボです。なんでフィリピンやねん。
でも、めちゃくちゃおいしいけんね。
はいここで恒例のてきとうなポストモダン感を小さじいっぱい。

ということで、きょうのテーマは「滅びる」「間際」です。

いつそうなったんでしょうか。

ぼくんちは新田源氏(里見系)の流れを汲んでいる(ということになっているが真偽は7:3くらいか)ので
いちおう、平家は敵っつーか、まあ、巨人ファンからみた阪神くらいな距離感なんだろうとおもうのだけど、
俗にいう「源平合戦」という呼称にはいまひとつ釈然としないのです。
あれ、厳密にいうと「源平合戦」じゃなくって、「東国のコメ経済層vs西国の貨幣経済層」だとおもう。
だって、そもそも頼朝さんの奥さんの実家(北条氏)、ばりばり桓武平氏だもん。
頼朝方についた畠山さんも千葉さんも三浦さんも(以下延々とつづく)みんな平氏だもん。
保元、平治の乱のときから、もともとは平氏(清盛)も源氏(為義、義朝)も代言人的ポジションというか、
武士たちの訴えを裁く役割であり、また朝廷や公家に言上して官位をもらってやったりする、
いわば調整機関としての長なんですね。ぼくのとらえかたとしては。
だから、別に氏族のちがいで旗色がわかれるわけじゃなくって、
どっちの機関の能力や展望を信用するか、というだけのことなんだとおもう。
ようするに一時期の自民党と民主党みたいなかんじで、最大与党と最大野党が入れ替わっていくなか、
もっともドラスティックなかたちで政権交代がおこなわれたのがいわゆる源平合戦のタイミングなんだろうな。

そういったうえで、平家一門の「親戚はどんどん要職につけちゃう」家族愛しかないスタンスと、
鎌倉幕府の「実弟とはいえど連枝扱いはしない」政治的なアティテュードを俎上に並べてみると、
まあ、自分がどちらかに味方せざるをえないなら源氏だよなあ、とおもってしまう。
だっていやじゃん。
一国の首相も大臣職もみんな「平のなんとか」って。
でもだからこそか、そんななかで本来藤原姓の悪七兵衛景清や斉藤実盛(ともに平家方)の言行なんか、じんとくるんだな。
個人的には、頼朝や義経より清盛さんに人間的なシンパシーを感じるのもあるだろうけど。

なお、悪七兵衛や悪源太義平など「悪」がつく名前のひとたちがこの時代よくおられますが、
これはけっして「悪い」という意味ではなく、「強い」「雄々しい」くらいのニュアンスで、むしろ褒めことばです。
もっとさかのぼれば「醜(しこ)」というのも古代日本においては「醜い」ではなく、
「若く力がある」とか「荒ぶる」といったかんじの雰囲気だったとおもう。たしか。
そっからお相撲さんの「四股名=醜名」もきたんとちがったかな。たしか。
まあ、たしか、が多くなってきたのは酔っぱらってきたからなのでしょうよ。けっ(といってみたいお年頃)。

ちなみにヤスの岡田氏はいろいろ各地にあるけれど尾張発祥ならおそらく清和源氏、
で、ムッティーの村田氏は正直ようわかりません。すくないです。村田氏。もとは豪農とかかなあ。

いったいなんの話だったんだ。

ということで、歴史やら小ネタやらまじりにまじって源平合戦のごとく混沌とした様相と呈してきたこの日記、そろそろ筆を置きます。

とりあえず、ヤス、「間際」はないとおもうで。

そんだけや。



 

# by chori_poet | 2012-05-06 23:54 | 日記 

わたしは調子に乗ってしらたきをうりにゆきたい


おとついはがらにもなくゴールデンウィークの人波に流されて滋賀県にいっておりました。
わたくしのようなものが連休をたのしんでいいのかはなはだ不分明ではありますが。

滋賀といえば長浜の鴨。
そうだ、鴨食いてえ、とおもいながら、
田んぼと琵琶湖と某宗教団体のお城しかない和邇というところにおりました。
(余談ながら海老名かどこかのSAに「お城みたいなトイレ」ができて非難ごうごうだそうですが、
「トイレみたいなお城」じゃなくてまだよかったなあ、と暮夜ひとり遠い目をした次第)

鴨といえば鴨居羊子さんのことをおもいだします。
鴨なのか羊なのかはっきりしろい、といいたいのですが
戦後の下着業界をけん引したえらい方なので、そんな失礼なせりふは嚥下しときます。
ごくごく。
もういっそ、鴨や羊を脳裏に浮かべながらワニの琵琶湖に沈んでしまいたい。
タイトルは鴨居さんの著書「わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい」より。

で、そんな味の百貨店、というか、デパートといえば平和堂一色の滋賀県にて、
ぼくは一種の老人介護に従事していたわけです。

ご紹介しましょう。
こちらの方々です。



フグでもハリセンボンでもありません。
れっきとしたトイプードルであらせられます。
…血統上は。たぶん。



HUNTER×HUNTERでキルアの実家にいた番犬ではありません。
れっきとしたトイプードルであらせられます。
…血統上は。たぶん。

もうお二方とも人間でいえば傘寿、喜寿といったあたりのお年頃なので
ぼくとしては自分の犬アレルギーをもかえりみず、
文字通り必死になってご接待申し上げました。ごはんあげたり。ごはんあげたり。

そんなふうにして暮れたゴールデンウィークの一日でした。
要するにのんびり実家のお犬様たちへの勤労奉仕してました。

ちなみに彼らの娘もお二方おられますので、
5年後くらいにはふたたび同様のシチュエーションが訪れるとおもわれ、
わたくし戦々恐々としてます。なおれよ、標準数値の200倍のアレルギー。

かくして、
鴨にはじまり犬におわった5月3日であったよ。
ただの犬自慢というふしも、なきにしもあらず、な日記。

とっぴんぱらりの、ぷう。



追記:

文中についに登場しなかったしらたきさんより抗議のご投書をいただいております。

しらたき「今度(鍋の中で)会ったら一瞬で煮崩れてやるからな」

詩人「じゃあマロニーにするから、いい」

しらたき「………(無言でおつゆを吸う)」

 
ごちそうさまでした。

 

# by chori_poet | 2012-05-05 13:44 

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